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  • 南北先生探訪記

邂逅

そもそも、何故に南北相法を読み出したのか、思い出そうとしても、ハッキリと思い出せない。人相術に興味を抱くようになったのは、元々占いや手相に興味があったからなのだが、どういう経緯で南北相法を訳そうと思ったのかが、一向に思い出せぬ。一つ思い出せるのは、私が通っていた鍼灸学校の図書館に、南北相法に関しては唯一の現代語訳と自称する本があって、それを何気なくパラパラと見た時に、何たる酷い本だろうか、現代語訳と書いていながら、全く現代語訳されていないじゃないか!と憤慨したということである。その本は現在でも販売されているが、某鍼灸専門学校の創立者であったK氏が監修したとかで、学校の図書館に寄贈されていたようであった。K氏は易者としては四天王などと呼ばれ、まぁ立派な人だったとは思うが、人相術に関しては門外漢だったようである。そういう人が監修した南北相法現代語訳であるからにして、マトモな内容が望めるはずもなかった。
 
私は鍼灸学校を卒業し、鍼灸師の免許を取得するまでは、仕事と勉強で毎日が精一杯だった。そんなわけで、南北相法の現代語訳を本格的に始めたのは、免許取得後の2009年春からである。翻訳と同時進行で資料などをかき集めつつ、3年後の2012年には、一応は完訳した(とは言っても、未だ校正は終わっていないので、完訳とは呼べないが…)。私はまだまだ未熟ゆえ、校正が多々必要な箇所もあるとは思うが、現在ネット上に散見される南北相法の現代語訳や、前出の本に比べたら、遥かに正確で、原書に忠実な訳になっていると思う。南北相法に興味を持った方は、とりあえずは私のHPの現代語訳を参考にされるのが無難であると思う。とにかく、他のHPやブログで書かれている南北相法や水野南北翁に関する記事は、呆れるほどのデタラメが多いから、読まぬ方が賢明である。

鏑射寺(かぶらいじ)

南北先生の墓は、兵庫県の鏑射寺という寺にある。しかし、実際は寺の境内からは離れた場所、寺と道路を挟んだ駐車場の最奥にひっそりと葬られていて、初めて行く人は見つけ難いと思われる。墓は元々は別の場所にあったようだが、近年、街を一望出来る山の一角に移動したようである。江戸時代はそれなりに名を知られていたのであろうが、現代では、水野南北という存在はほとんど知られていない。ゆえに、墓所を訪れる人は全くと言っていいほど、いないようである。
 
墓はややこしい場所にあるが、鏑射寺自体を見つけることはそんなに難しくない。中国自動車道の西宮北ICから10~15分くらいの場所で、山の中腹にある。近所の武庫ノ台ゴルフ練習場の看板を目印に走れば、何とか辿り着けるはずである。ちなみに、鏑射寺のHPのアクセスマップは、大幅に省略されている部分があるので、あまり参考にはならないかもしれない。また、寺につながる直前の道はかなり狭いのでご注意を。

墓参り

2012年10月、初めて南北先生の墓にお参りした。南北先生は、私が最も尊敬する人物であるゆえ、やっとのことで墓に辿り着いた時は、それはそれは感慨深いものがあった。実際に南北先生の骨が埋まっているかどうかもわからないし、霊みたいな存在があるのかどうかは知る由もないが、墓石という名の記念碑に、ただただ故人への思いを馳せるのである。それだけでも、生きている方としては満たされるものがあるから、最近流行りの「自然葬」などはツマランな、とつくづく思う。南北先生は、わずかながらも毎日晩酌を楽しみにしていたと、某かの書に記されてあったので、松江市の美味しい地酒を持参し、お供えした。そして、途中で買った花と、私の大好きな沈香の線香を供え、般若心経を心をこめて唱えた。と、その直後、南北先生の墓石の真裏あたりを、ザクッ、ザクッと何かが砂利を踏みしめるような音がした(画像をみればわかるように、墓の後ろには誰もいなかった)。一瞬、ハッとはしたものの、特に気味が悪い感じはしなかったので、勝手に南北先生だろうと想像した。墓所からしばらく街の夜景を見下ろしてマッタリとした後、私は夕闇に溶け込むようにして、ユッタリとその場を離れたのであった。(完)